【特別座談会】

「考える力」をはぐくむ教育とは

[3]AIは学びの敵か

髙宮 次に、AIについてお聞きします。AIやChatGPTの記事を見ない日はない昨今ですが、教育ではどう使っていけばいいのか議論があるところです。果たしてAIは学びの敵なのでしょうか。テクノロジーとのつき合い方をお聞かせください。

今西 わからないことがまだまだ多すぎますが、われわれ教員がわからないことに向き合って粘り強く考えるということを生徒に伝えたいとも思います。最近の生徒はすぐ答えを知りたがりますが、わからないことを繰り返し考える力をつけてほしい。そのためにはこうした難題に対してわれわれは逃げずに考え続けることがいちばんです。
 生徒にも二つの方向で考えてほしいですね。一つは、本質的に生成型AIとは何なのか。たとえば、産業革命で人類は力仕事から解放されました。力仕事を人間から外部化したのです。20世紀半ばからのコンピューター革命では制御技術、自動制御が進んで、機械を操ることから解放されました。今度は人工知能によって考えることから解放されるのか。人間は考えることを外部化するのか。そういう本質の論議をしながら、一方で現実にどうつき合うのかという問題を考える必要があります。周りが使うようになると、自分は使わないと宣言することは難しいかもしれませんが、同調圧力をはねのけて自分の道を行くという生徒が出てきてほしいとも思います。

本郷 AI、ChatGPTを使って、レポートや感想文が書けるのは確かですが、そのことによってみずからの表現力を伸ばすチャンスを失ってしまうところに怖さを覚えます。たとえば、ビッグデータの解析など時間のかかるところはAIがやる、出てきた結果を踏まえて解決策を探り、創造的な考えを発信するところは人間がやる、というような使い方が理想的なのではないでしょうか。感情の理解や倫理的な判断、創造的なアイデアの発出など、人間の優れた力を発揮するための道具としてAIを使うべきだと思います。

海保 ChatGPTは整然とまとまった答えを瞬時に返してくれるという点で、たいへん魅力的な技術です。しかし、灘校について尋ねると、「正式名称は灘学園高等学校で、創立は1920 年です」と答える(どちらも誤りです)など、信頼性に著しく欠ける部分があります。現時点では、レポート作成などでChatGPTを使用した場合は、そのことを必ず明示させるなどの規制が必要です。